時の神クロノス

■ギリシア神話のクロノスは、山羊座、土星を司る守護神です。ローマに入ってサトゥルヌス(サターン)と呼ばれるようになります。

マーカー神々の概略

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◆ギリシアの守護神クロノス、ローマ神話のサトゥルヌス(サターン)は、主に農耕を司る神として奉られます。農耕とは、当時の人々の死活問題でありました。時間をかけて食物を育てること、生命力の根元という強いエネルギーも、春夏秋冬という時間の流れにおいては、冬の不毛の時期を避けて通れない運命を担っていることについて、太古の人々が自ら手出しのできない生と死を重ね合わせ、畏怖していたことが伝わってきます。親子の縁とか絆といったものも、人間にとっては「命がけ」。しばしば「残酷」に感じられるその強い、抗しがたい結びつきに、あなたは何を感じるでしょう?

◆フランシスコ・デ・ゴヤは、ロココ時代の作家で、初期の頃は数々の輝かしい色彩豊かな作品を残しているとのこと。「我が子を喰らうサトゥルヌス」は、作家ゴヤの内的精神の投影であると、そのデモニッシュな表出は、表現主義を予告していると述べられています。(「西洋美術史ハンドブック」より)


参考絵画 01

我が子を喰らうサトゥルヌス(サターン)

◆プラド美術館展が、2005年に開催されています。その時にはこの絵の展示はありませんでしたが、「魔女の飛翔」が印象的で、占術家が当たり前のように興味の対象する世界ではなく、芸術家がテーマにしたがる神の世界、神秘、魔性の世界というものに改めて心惹かれたものです。「我が子を喰らうサトゥルヌス」は、阿鼻叫喚を呼び起こす地獄絵図のようでもあります。我が子、即ち、母親の胎内から頭から生まれ出てきた胎児を、父親がまた頭から丸ごと飲み込み返すというのでしょうか、父と母とのすさまじい攻防戦が展開されているかのようでもあります。筋道を通すためには、原初の神は、母でなければなりません。しかし、男性である父神によって、自然発生的に子を産み出させたほうが、都合がよい作家もいたことでしょう。それでも、神話というストーリーにおいて、男女は必ず交わるものと、登場人物たちは性交渉を重ねどんどん子どもを産み落としてゆくのでした。

◆産み落とされた一個の肉体を前に、神ほどの存在でもそれを持てあまし、究極、自ら喰らうのでした。ただ、その存在を不要として、殺害するなら、わざわざ喰らう必要はありません。全身全霊を込めて喰らう方にも命を賭けている節がうかがえます。日本の刑法においては、死体の遺棄の仕方によって、殺人という罪に下される罰則が変わってきます。さて、殺害した遺体を食した場合、これは遺棄・隠蔽とみなされるのでしょうか? ・・・さてさて、遺体を食するという行為に、どのような象徴的な事柄を見て取ることができるでしょうね。食とは命の根源でありますから、むしろ再度生命を与える儀式にも等しく感じられるのです。憶測ですが、太古においては、死者を喰らうという何らかの儀式さえ存在していたとしても、不思議ではないように思われるのです。