お酒 Alcohol ,Spirit (過去ログ2012秋)


今回は、ギリシア・ローマ神話のコーナーで酒神バッカスを取り上げましたので、お酒をテーマに、私たちのからだと心と精神について論じてみます。ところで、精神を表すSpirit スピリット にお酒という意味があるのは、奇遇ですね! いや、それなりに深いのかなここは? ステラ・マリス・ナディアがお届けしてまいります。

 

 

 

 


お酒と人間との関わり
~古代エジプト、ギリシア、現代に見る~

 古代エジプト人たちは既に、ブドウを栽培し、房を亜麻布に入れ棒で ねじって絞り、醸造酒を瓶(カメ)に入れて保存していたといわれます。ブドウの果汁が長い時間を経て発酵して いるのを、たまたま飲んで味わった者の陶酔感はいかばかりのものだったでしょう。 ギリシアにおいては、酒神デュオニソスの飲み物とされたこのワインについて、厳しい取り扱いについての法、今でいう禁酒法、関税法 に当たるものでしょうが、すぐさま確立されたのでした。果汁に水と混合させるなど様々な加工を施し味を変えて ゆく技術は、当時の人にとって文明度のものさしでもあるとも主張されています。四世紀頃には、修道僧たちが集団 生活を始めるようになり、彼らの細々とした自給自足の生活の基盤となったのが穀物と並びこのワイン醸造でした が、これがさらに、南イタリアからプロバンスへと伝わり、ヨーロッパ全域の世界経済発展に大きく関わることになるとは、当初は露とも思われなかったことでしょう。

 今日でも祝い、祭りの席に付き物である、ワインのみならずアルコール飲料一般。錬金術においては、アルコール(Alcohol)は、錬金術師に不可欠な万物に浸透し活力を与える精気体、即ち第五要素であり、「燃える水」「火にして水である生命の水」などと呼ばれてきました。その「不可思議な、神秘的な、魔術的な」性質が、二元論、即ち対極する2つの原理を結びつけるもの、両者の一致を象徴するものとなり得ると考えたのでしょう。
 アルコールは嗜好品として日常生活において根強い人気を誇るもの。嗜好品とは、ただ味わうい、それを楽しみとみなすための食物です。満腹なら狩りをしようとはしないのが野生の生き物である一方、単に嗜好から、人は時や場所を変えては様々な食物を口に入れることを好みます。食文化とは、人間の本質を象徴する極みではないかとも思われます。
 「食を楽しむ」とは人間特有の行為であり、「飽食の宴」は既にギリシアにおいて開催されており、当時の人々は「胃の中のものを吐く」という行為に及んでまで、宴を繰り返していたそうです。今日でも、食の強迫観念にとりつかれた拒食症、過食症を患う人達は、食べるために吐いています。お酒については吐きながら飲酒するケースは少ないようですが、存在することは事実です。この「一度飲み込んだモノを吐く」行為については、また別途お話する機会を設けましょう。

 過度の飲酒により舌が荒れてしまうことがあるそうですが、舌に紙を貼ってまでも、中毒にむしばまれた人が酒を飲み続けたという話を聞いたことがあります・・・野生の動物、自然な健康的な生き物には、考えられない行動、人間特有の奇行、それが中毒症状、依存症というものですが、これが「病気」だと定められるまでは、少し時間がかかりました。当初は、神懸かり的な現象であるとか、憑き物のせいであるとか、そんな扱われ方もされていたのです。現在は、アメリカのDSMが診断基準として採用されいます。DSM、(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders 精神障害を診断するための指針 とは、精神医学の世界で最も大きな影響力を持つとされています。現在のヴァージョンはDSM
-Ⅳ-TR)。診断基準も時を経て内容は都度改定されています。今では単に「奇行」と扱われている人の言動が心身症、神経症として診断を下されることになるやもしれない。話が逸れだしたので、これにて。


依存という心の問題
~アルコール依存症から人間依存症「共依存関係」まで~


 
依存の「存」、生存の存であり、依存とは、「他のものによりかかって生存が成り立つこと」を意味することばです。「依(よ)る」とは、何かを基準にするときのことばでもあり、他人に頼み事をする時の「依頼」にも使われているように、かなり対象に寄り掛かっている印象を受ける、そんな二文字が「依存」ですね。人が何かに依存するというと、人がもうそれなしでは生きていけない程にそのものに寄り掛かっている状態で、日常的にも「依存」は、好ましい使われ方をしません。依存症を英語で、dependence という。depend on ~ ~による、に頼る なんて、高校で熟語を学習しましたね。

 アルコール依存症 Alcohol dependenceとは、DSM-IV- TRが定めるところの、アルコールに依存する、即ちそれなしでは生きていけない状態におちいる精神疾患であり、厚生労働省HPによれば、国際疾病分類第10版の診断基準に基づくアルコール依存症者の有病率は、男性の1.9%、女性の0.1%、全体で0.9%と推定。この割合をもとにわが国のアルコール依存症者数を推計すると80万人(2008/11)。

http://www.mhlw.go.jp/topics/tobacco/houkoku/061122b.html

 
自分はお酒が大好きで、それなしではいらなれない!という人もおいででしょうが、それを嗜好の範囲で言っているのなら、依存症ではありません。各所で依存症のチェックポイントなども多く掲載されていますが、このページでも後尾に「厚生労働省が推奨する新久里浜式アルコール症スクリーニングテスト」を掲載しています。テストは、端的に言えばお酒が日常生活の基準になってしまっているのかが最大のポイント。お酒を飲むために生活しているような状態であるか、お酒の影響で人間関係や仕事・学業に正常に取り組めないような状態になっているのかが決定打となります。もはやお酒に支配されている状態で、言ってみればまともに仕事などできない状態であったり、身近な人、家族との関係にも影響しているということが浮彫になるものでしょう。依存症患者に「病識がない」ことも多く、家族も恥ずかしがって隠したり、病気とさえ認めないケースもあり、人知れず家の中で当事者共々苦しんでいるケースなどが今もなおあるようですから、統計では計り知れない依存症者の数が思いやられます。

 アルコール以外の主な依存症と言えば、薬物、食べもの、パチンコ、セックス、インターネットなどが上げられる。ここ十年くらいでは、人間に依存するという現象までも。
 親子、夫婦、身近な人間関係が、依存関係になり、様々なトラブルをかもし出すことが精神医療の現場で取り上げられるようになっています。ひとりの人間が、別の人間に依存するということは、前述しました「依存」についての詳細を踏まえていただければ、どれだけの重圧がそこにかかるか、すさまじいエネルギーのやりとりがあることがわかっていただけるでしょうか。依存する方は、全人生で寄り掛かってくるわけですから、寄り掛かられたほうはたまりません。寄り掛かるほうは「あなたのため」「あなたのせい」そんなことばを、相手に頻繁に口にするようになるのが特徴です。とは言え、通常は、自分以外の人間から、そうそう寄り掛からせることはしないのが、健康な人間とでもいいましょうか。一般には、寄り掛かられる人間(専門用語で「共依存者/co-dependence」)のほうにも、大きな問題があるとされています。

 
いわゆるニート、成年に達していながら無職で家に引きこもって、全人生の面倒を親にみてもらっているニートなども、親に依存する病だと言えるのですが、親のほうも子どもが依存するよう誘発する因子を持っている「共依存(症状)」と診断されることが多々あるのです。依存されること、依存者の問題に依存することに、自らの存在意義を見出す者と定義されているが、くだけた言い方をすれば、親離れできない子どもの最大の原因は、子どもに親離れさせない親のほうにあったというようなところになるでしょう。DV(ドメスティック・ヴァイオレンス)の問題を抱える夫婦も、互いに依存し合う共依存関係であるケースが多いよう。妻に暴力を振るってしまう夫が、外では温厚な紳士であっても、妻の前だけではなぜか暴力性を発揮してしまうという当事者の悩みを実際に聞いたことがあります。

 アルコールであれ何であれ依存からの立ち直りは、本人が自分が何かに依存していることへの自覚が第一歩です。二歩目のステップは長期戦。「立ち直りたい」という気持ちだけでなく、身体の細胞ひとつひとつ依存していたものから「抜け切らせる」必要がでてきます。禁断症状に耐えるのは辛いでしょう。ただ、その努力を繰り返している内に、ふっと心も身体も抜け切ってしまう瞬間がくるものです。そして、依存していたものに取って代わる「何か」を確かに手にしていたりする。それが何なのか人によって色々でしょうが、総括して言えば「生きる喜び」なんでしょう。

 依存症に陥る人には某か苦しい、辛い体験があるものです。死ぬほど辛くて悲しくて、「助けて!助けて!」 という猛烈な救いを求める感情を流出させる先として、何かに依存することにたどり着くように、私は思うのです。もはや死にたい。さりとて死にきれず、酒や色々なものに溺れてゆく。飲みながら、食べながら「殺してくれ」と叫んでいた仲間たち・・・自分も含め多くの人を見てきた私自身の私見です。個人的な意見ではあるが、誰もが、回復の過程で自らの生と死に向き合い、その生を肯定することなしに根治はあり得ないように感じられるのです。生きることの意味、そして喜び、あなたにとっては何でしょう?どんなものがありますか? まさか「飲むこと」ではありませんね?

 

 

厚生労働省によるe-ヘルスネット情報サイトより(完全抜粋)
新久里浜式アルコール症スクリーニングテスト
参考URL http://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/alcohol/ya-026.html

 
久里浜式アルコール症スクリーニングテスト(KAST)は最近改定され、新久里浜式アルコール症スクリーニングテスト(新KAST)が現在使われています。
アルコール依存症チェックテストには他にもあり、どれもが絶対的なものだとは言えません。中にはヘンな質問事項もありますよね。
 アメリカでは、テストの結果云々ではなく、その人が「お酒をやめたい、でもやめられない」と悩んでいるのなら、既にアルコール依存症に陥っている可能性があると指摘し、一刻も早く専門医療に相談するよううながしています。 そしてまず、一時的に入院するなどお酒に手の届かない環境作り、身体的な依存から抜け出す環境に身を置くことが推奨されます。
 そうして次のステップ、精神的な依存の根源を断つステップを乗り越えなければ、入退院をくり返すだけの悪循環にまた陥ってしまいます。率直に言って、専門医療を頼るだけで根治を目指すことは難しい。それはしかし、どんな病も、治すのは「患者自身」であり、医療を含め周りのものたちは治すためのサポートをするに過ぎないという点で特別なことではないでしょう。

日本ではまだまだ、心の問題に対する知識や理解が不足しています。侮蔑し、嘲笑するような風潮さえあるのが現実です。誰もひとりでは依存症に陥りません。ひとりの人を追い込んだ周囲、環境、この社会のあり方も変えていく必要もあるのです。

  前述したことに戻りますが、依存症に陥る人には某か苦しい、辛い体験があるはずです。そして、その事実や抑圧した感情、つまりその人の過去、問題を抱えるに至ったその人自身のすべてと向き合い、その生を肯定できるようになる過程において、必ずや根治への道は切り開けるのです。これは、アルコール依存症に限らず、摂食障害、うつ、不安神経症、不登校等様々な心の問題に共通する心理療法の一種なのです。


心と精神

 ところで、心と精神の違いは、みなさんどのようにご理解いただいているでしょう? どちらも人間の「内面」であり目には見えない無形の代物です。心、精神、感情、これらの定義は、実際、各所によってかなりあいまいです。占い百科の用語集にまとめてみました。
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