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占いの基礎知識



【2009年5月号】
現代占い事情その@〜前世に癒やされる現代人たち〜

 職業占い師という仕事に携わって以来、つき物のようにまとわりついてくるテーマが宗教と前世。人はある事柄について、何か深い縁があるのかと「因縁」なるものを知りたがってやまない生き物のようである。そもそも因縁なるものがあるのか否か、、もう、これはひとつの考え方・とらえ方であって、「ある」「ない」誰にも断言できはしないことです。どちらでも、人それぞれそう考えたい、そう思えると、主張する自由があるといった類のものですので、論議はいたしません。
 
いをしに訪れる多くの方々の中には、占いで前世がわかると、思われている方も多く、それこそ占いによって導き出される自分自身の前世に大いに「期待」をされているのです。何を期待しているのでしょうか? 一概に言えば「救い」でしょう。もう、万策尽きたというところでしょうか、現実的な対処・対応に限界を感じたところで、先のことより後をふり返りたくなる相談者たち。どうしてこなってしまったのか?という現実的な因果関係ではなく、もっと前のそもそも自分の「生まれ」について、何らかの因縁を見出そうと、何かわかれば救われるのではと、占いの門を叩くに至るのです。


かしながら、そもそも、前世については、占いの本分ではありません。占いというのは、むしろ未来に向けて、不安定不確実とされている今より先のことについて、利用するものだという頭がある方達も大勢、占う側、占われる側双方において多いはずですし、読者の中にも今回テーマに前世やら宗教やらが持ち上がって驚いている方さえいるかもしれません。が、今や占い業界には、スピリチュアル・カウンセラー、ライフ・リーダー(reader読み手)、退行催眠(前世療法)の担い手として人様の前世を専門に扱う人たちが急増しているのが実体なのです。ただ、本来は前世、即ち生まれる前の事柄ですとか、生まれ変わり、輪廻転生等のテーマは「宗教」が扱う分野です。


と死、死後の世界について、それを観念的に扱う分野として、まず「宗教」という分野が上げられます。様々な教義が唱えられ、様々な宗派が存在する昨今ですが、あらゆる宗教に共通する点、一神教か多神教かがあるかと思いますが、そこには必ず「神」が存在します。これが宗教の大前提です。何故神が必要なのでしょう?宗教とは、「この世とあの世」を説く分野ですから、まずこの世について、世界創造、創世の物語ありきであって、その世界創造を果たした神の存在まずありきなのです。その神を信仰すること、神の教えを守り加護を受けながら現世での使命をまっとうし、神が待つ、あるいは神が用意してくれている来世ですとか天国ですとか死後のまた別の世界へ、無事に迎え入れられようとすることが、信教の最大の目的です。この分野では必ず現世、来世、もしくは死後の世界、そしてそれに伴い「前世」が論じられるのです。ですので、「前世」に興味関心があるのなら、占いではなく、宗教のほうへ行くべきだと、筆者個人は強く主張します。


占いハウスの現場に垣間見る「前世占い」
 しかし、そこまで真剣に「前世」について思案するわけではなく、率直に言えば、どんなことが言われるのかただ聞いてみたい程度の興味本位レベルの期待を抱えて、訪れやすい「占い」の分野に足を踏み入れてしまう方が、実際に多いというのも現実なのです。もうこうなると「お遊び」の領域と紙一重でしょうか。前世はどこどこの国で職業は何で、、ヨーロッパの貴族だったとか、戦国時代に戦士した武将だったとか、エキセントリックな事柄が導き出されれればされる程にキャッキャと楽しんで帰っていかれる方々を、筆者は都内の占いハウスみたいところでよく目にしたものです。「占い」もビジネスでやっていらっしゃって、需要と供給がきっちり釣り合っているのなら、皆さんで楽しんでいただきたいというところです。


何故、前世が救いに?
 他方、深刻な問題を抱えて、「前世」に救いを求めてらっしゃる方のケースが、今回の本題です。例えば、親子関係がうまくいかない、親子間で愛の形が健全さを欠いてしまっている人などが、ご相談に来られる場合もあります。40才になろうというのに定職にもつかず、親の経済力に頼り切って半ばこもりがちになっているいわゆるニートな息子を抱えたお母さんなどが、もうどうしようもなくなって、一体これから自分たちはどうなっていくのか?という先々のことも心配ながら、私たち親子には何か悪いものでもついているのか?先祖の祟りだとか、過去の因縁だとか、何かあるのか、見てくれないか?そういう感じでのご相談になるわけですね。

ういう時の前世占いとしてのお応えの常道なのが、「お母さん、お母さんと息子さんは、前世ではご夫婦だったんですよ。そうして、前世において、お母さんは息子さんに救われているのです。。。とても愛し合っていっしょになったのですが、ある日お母さんが海でおぼれそうになった時、息子さんが命を捨ててまでお母さんを助けられたのですよ。それで、現世では、今度はお母さんが息子さんに恩返しをする定めなのです」。。こういった究極の恩返し説が最もよく使われる手かと思われます。
 
中には、前世であなたは人を殺しています、屠殺に関わっています、その時成仏できなかった霊が、現世で成仏を求めてあなたにこういう形でメッセージを送っているんです・・などと言って、お祓いなどを促したり、祈祷料に結びつけようとする自称「占い師」も存在することを筆者はよく知ってもいます。こういう悪質なケースはまたの機会に。


理屈ではなく、人が「納得」する瞬間
 究極の恩返し説、前世での恩を現世で返すという運命論がよくよく嘯かれるのですが。。筆者は、これに絶対的に否定的な見解をかもし出しているわけではないのです。何故なら、先のニートの息子とその母のケース、母が息子への恩を返す定めだという解釈を受け入れることによって、感謝の気持ちと慈愛の精神をそのお母さんご自身が育まれ、深い人類愛的な心情で、息子さんを包み込んで更正させてあげることができるのであれば、その効能は大きいものではないでしょうか。
 
謝と慈愛の精神、これはどんな宗教でも教えの基本的な原理であり、逆に言えばこういう精神を人に呼び覚ますことができるのが、宗教という教えのチカラの素晴らしです。この人道主義的な宗教ヂカラ故、宗教は今も尚健在であることは周知のこと。現時点では、信仰の対象=神がまちまちであるために、かえって流血事件が勃発しているのが玉にきずですが、それはさておき、確かに人が皆が人道的な姿勢を貫くことで、世の中はもっと清く正しく美しく、クリーンに平和になるだろう。仲良しさんとの間ではそれは難しいことじゃない。問題は、相容れない、嫌悪すべき、憎むべき存在との間において、一体全体どうして人道主義を貫けるのだろうか?という点です。

対する相手との関係性、自分が敵視し嫌悪する人間、その人にとっての憎むべき悪、そういう相手と関わっていかねばならないのが、現世、現実社会です。いやなら止めればいいという考え方もあるが、しがらみ故、止めることができず、だから人は悩み苦しむわけです。よく聞かれる「親は子どもを選べない」なんてことばがありますが、だけど、親子だけじゃないでしょう?誰だって、誰のことも選べません。上司も部下も、担当者、集配の人、友だちの友だち、夫婦の家族、みんな縁あってつながってしまうだけ。夫婦だって、今の旦那さん、奥さん、本当にあなたが世界中から選んだ人ですか? その時そこに、居た人なんじゃないですか。だからこそ、一緒になれたわけなのであって、人はそれをご縁と呼びます。故に人は「縁」に弱い生き物でもあるのです。

世での縁なるものが、時に人間とっては驚異的な威力となるのです。「前世」において、自分はその人に迷惑を掛けてしまった、非常にお世話になった、恩義を受けたetc、、だからこそ、現世では、こちらが譲ったり、ふところを広くして相手を受け入れ、相手を癒やしてあげる定めがあるんだよと、そう説かれて、ああそうなんだと、自分は何も悪くはないのに何でこんな目に遭わなきゃいけないのかと悩んでいたけど、問題の意味がわかりましたと、この人とのこと乗り越えていってみますと、相談者が納得できるのであれば、前に進んでいくことができるのなら、こういう考え方・解釈もひとつでしょう。


意識の悪循環を断つために!
 相手に対する敵意や嫌悪感を乗り越えるために、抱えている難事を乗り越えるために、多く宗教上の教えとは、敵意や嫌悪感を乗り越えるために、精神修行をも同時に促しているものです。物事のとらえ方、感じ方、考え方に抜本的なテコ入れをします。キリスト教における名句、「汝の敵を愛せ」「左のほほを打たれたら、右のほほを差し出せ」などがその例で、一種の精神的な荒行というところです。人を嫌悪し、敵意を抱き出したら最後、その意識の悪循環はとどまるところを知らず、相手を攻撃し責めれば、やられたほうはやりかえし、末代まで延々と続くであろうやり返しの連鎖を、意識の悪循環を断つことをうながして、宗教の教義は時にドラスティックな見解を呈します。宗教的な教義とは、いかにも理屈っぽく、難しそうに聞こえる節がありますが、すべて、理屈では解決できない、数字で割り切れないという人間の要素にグッと入り込んでくるものばかりです。輪廻転生、極楽浄土、天国と地獄etc..

だ、敵意や嫌悪感と言った他者に対する意識を乗り越えること、それはつまり、自分という人間を乗り越えるということに、まず気づくことを忘れてはなりませんし、その気づきがあれば、宗教的な見解や前世の因縁などの助けを借りる必要はなくなるでしょう。それから、もっと「人間」という生き物について知ることも必要。特に、自分とは違ったタイプ、自分が理解できない存在、嫌いな人や敵対する人にこそ、ヒントがあるのだとね、しばしば耳にすることがあります。


術力も進化して、一見、何でも合理的、数字的、理知的に解決できる世の中になったようになど思われますが、、誰もが自分の意志とは無関係に、生まれ出て、生きながらえて、死んでいくこの世の中、理屈じゃ解決できない謎だらけ矛盾だらけな点は、太古も今も同じじゃありませんか。「選択の余地」なんて皆無に等しい。太古から人生は苦しく、辛いことばかりの旅路で、人は常に傷つき疲れ、今もなお癒しや救いを求め続けながら生きているのです。心のより所は、何をどう考え、どうとらえるか、その人の心でしかないでしょう。そこのところの認識が育ってくれば、占いでも、前世でも、宗教でも、それぞれ人畜無害であり、有効活用できるかとは筆者は考えております。
  

いも、そういう意味で、人がすがる一分野です。しかしながら、占術は宗教ではありません。信仰するものではなく、人が日々先へ先へと進むために活用すべき術であり、使うための道具です。人生というものをどうとらえるかという哲学、生きているが故に直面する事象をどう解釈するかという解釈学にも等しいことは先回お伝え致しました。縁あって占術に関わる人は、その使い方を誤ることなく、その効能や魅力をしっかり味わっていただきたいと、筆者は同マガジンを通じて伝えてゆきたい所存です。
 
ご拝読、誠に、ありがとうございました。
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