2025/04/06

特集:「チリンのすず」を解釈する

おひつじ座特集Part1

特集:「チリンのすず」を解釈する

天の太陽が白羊宮を通過中のこの時期、おひつじ座に掛けてみましたが、すべての人に、贈りたいという思いで。やぎ座さんにもとくに・・「上なるものは下なるもののごとし」という古代ギリシアの哲学がベースにある西洋占星術家としても、共有していただければ幸いです。今地上で起こっていることすべてが、星からのメッセージなのです。

やなせたかし「チリンのすず」原作情報

  • 出版社 ‏ : ‎ フレーベル館 (1978/1/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1978/1/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 31ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4577003279
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4577003275

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‎ 出版年が1978年。その前々年、前年を、時代背景をちょっと見てみましょう。Wikipediaなど検索してみますと、

1976年は2月6日 - アメリカで、ロッキード事件が発覚。当時小学生だった私もTVニュースや新聞の過熱報道を覚えています。アメリカの航空機製造大手のロッキード社による大規模汚職事件で、現職の田中角栄総理が同年5月に逮捕・起訴・・・エキセントリックだったことでしょう。

4月 アップルコンピュータ(現:Apple)設立

5月 植村直己が北極圏犬ゾリ横断を達成

7月 アメリカ独立宣言200周年

7月 モントリオールオリンピック8月1日まで開催

9月 中華人民共和国の毛沢東共産党主席が死去

1977年では、事件発覚から約1年近く経過した1月27日、ロッキード事件初公判という・・・いや長いですね。同年有罪判決が確定しています。

2月には日米漁業協定調印。200海里経済水域規定に基づく初の漁業協定・・・これも過熱していました、大衆の食生活に直結する問題でしたね。

以下

4月 ミュージカル『アニー』ブロードウェイ初演。以降、2377回のロングランに

8月- 無人宇宙探査機「ボイジャー2号」がアメリカ・フロリダ州ケープカナベラル

9月 王貞治選手が通算756号ホームラン世界記録を達成

11月 新潟市で横田めぐみさんが北朝鮮工作員により拉致

12月 イギリスの喜劇王、チャールズ・チャップリン死去(88歳)。

ちなみにですが、

1977年のテレビ番組
海は甦える
あなたのワイドショー
ヤッターマン
ズバリ!当てましょう
史上最大!第1回アメリカ横断ウルトラクイズ
1977年の流行歌
勝手にしやがれ/沢田研二
昔の名前で出ています/小林旭
愛のメモリー/松崎しげる
渚のシンドバッド/ピンクレディー
津軽海峡冬景色/石川さゆり
1977年の映画
キングコング
ロッキー
人間の証明
幸福の黄色いハンカチ
八甲田山
1977年のファッション
パンク・ファッション
ギャザースカート
ベストの流行
参考:https://shinbun20.com/

「チリンのすず」は刊行年の3月には、サンリオによりアニメ化を果たし、劇場公開されています。

アニメ『チリンの鈴』に寄せられる賛否

サンリオ1978年3月


このストーリーの暗さ、重さ、エンディングの救いのなさに、「見なければよかった」と打ちのめされた児童も多かったのではなかろうかと、私同様に。。学校の企画で体育館で上映され全校で観た記憶がありますが。

泣くこともできないほどの衝撃。個人的には二度と再びと、作品から距離を置くしかありませんでした。

あれから数十年。この4月からNHKの朝ドラで、故やなせたかし先生ご夫妻が取り上げられており・・もう一度、この物語に向き合ってみようと、、いや何度もそうしたいと、ずっと思ってきたのですね実は。

今回、Youtubeの「英語吹き替え版のフルムービー」を字幕で視聴し、、どうもここに連れてこられるための、最近の色々なんだったのかもしれないなと思い至っております。ラストのナレーションに、サンリオの日本語版にはない「語り」が入っているんですね。

このビデオの重要な瞬間(動画概要欄より)

0:01 イントロダクションとオープニングシーン

2:29 不思議な世界

4:23 チリンのエネルギー

7:10 家族の再会

12:25 狼王の運命

17:32 チリンの弟子時代

24:08 旅の始まり

30:58 最終決戦

36:11 チリンの決意

42:19 その後


強さ、勇気、力とは何なのか?


下)蛇に襲われている鳥を助けようとして、巣もろとも卵を壊してしまい絶望するチリン。原作にはないエピソード。

物語の作者の意図を解釈するならば・・・

生態系、弱肉強食。母羊を狼に殺されてしまったが、狼は決してハンティングを楽しんでいるわけではない。チリンに起こったことは不可抗力で、このストーリーの中のどこにも、悪者が居て悪さを働いているシーンなどない・・・

むしろウォーという狼が、手に掛けることなどたやすいチリンを配下に置き、見守り、学ばせるくだりなどはこの話が単なる「復讐劇」にとどまってほしくないとさえ思うに至る。


やなせたかし氏は、 生きるということの最も熾烈な部分を、絵本を通じて、皆と考えたかったのではなかろうかなどとも思い至ります。

私たちは誰も皆、強く、生きねばならない存在です。何があろうと、どんな目に合おうと、生きねばなりません。

「力」を見誤ると不幸になる

ウォー という狼、力を持った者に、力なき弱き羊たちは常におびやかされ、最悪の場合命をうばわれます。

人間社会においても、様々な力を持った存在が主導権を持ち、弱きものが妥協し、譲るという構図は常態化していて、時に理不尽な状況下で泣き寝入りを強いられるのです。

でもそれは、強者と弱者だとは言えるかもしれないが、善悪の問題ではない。勝敗でもない。

強く生きる、戦う力を常に見極める必要がある―。

私たちは社会的な立場や地位と言った「力」以外の、もっと色々な「力」があることを知っている。一元的な力関係のみにとらわれて一喜一憂するものではない。

がしかし、わかっていても、容易に人は力に屈する、そういう生き物だ。

この世の中で、本当の強さと勇気を、生き物としての人間の本質を、改めて考えるに至ります。

チリンにとっては、強く生きることが大切なのであって、母をあやめた存在に復讐することで勝者になる必要はない。いやなってはいけない、その同じ方法で。

私たちはまた、ウォーにもなり得る存在だ。勝者になったときに。蹴落とされたと、仕返ししてやると、攻撃されるタネを育んでいるのが生存競争の現場でもあり、誰もがやはり言動に意識を及ばせるべきなのでしょう。荒ぶることはたいがいにすべきなのです。

チリンがウォーに弟子入りしてしまう=配下にくだるということもまた・・・意外な展開でほお!と当時、子ども心になんか、かっこいい! 成長したチリンの姿も、わるいものではないかなと。。おお、と目を見張ったものですが、そういう心理がやはり危険をはらむものなのでしょう。火の星座的なのかもしれません。

復讐、報復行為は、「許され」がちですが、、ずっと四六時中、その思いに占拠され、それを人生の最大のゴールとして生きていく・・・果たして、そんなことのために生まれてきたのか? 何のために生まれてきたのか、何のために生きるべきなのかを見失っては元の木阿弥。


シンボリズムとしての羊

羊は「群れるもの、大衆、盲目的に追従するもの」として、ところによっては「無知」の象徴ともされています。

国内では有名な楽曲1980年「重いつばさ」by 岸田智史(動画に飛びます)さん「おとなしい羊の群れから飛び立ちたい」という歌詞などにも象徴されており、、いや名曲です。

たとえば童謡「メリーさんの羊」などにもメリーさんの後をどこまでもついていく愛犬モードの忠誠心が歌詞に表されていて、時代と場所によって象徴もさまざまであることが興味深いところですね。

キリスト教においては、牧者=イエスに従う信徒、従順の象徴でもあるのが羊です。「信者」は迷える子羊、「イエス」は黄金の羊として絵画などで表現されてきました。


チリンの本編通して、「傍観者」としての羊も度々登場しています。

母のなきがらにチリンが半狂乱になって激高し涙するも、なんっにもしない周囲の羊たち。改めて動画を視ていても、少々違和感を覚えるもの。

牧場の壊れた柵の抜け穴から外の世界へ飛び出していく子羊一匹、誰も止めることなく。。

チリンの野獣化は、果たして彼ひとりの問題なのだろうか ― 

私は個人的に、このアニメの中に登場する「傍観者としての羊たち」が何よりも嫌―チリンの可愛さ余ってですが。

でも、正直私もそうなのです。直接的に影響を受けないところで、ただ見過ごしたり、へたをすると顔を背けて見えないようにしていることのなんと多いことだろう。決して遊んでいるわけではなく、日々の暮らしに追われているというのもひとつ大きな理由であって、それも後述致します英語版のラストのナレーションで回収していただけるのが今回お伝えしたいところでもあるのですが。


さてさて、古代ギリシア・ローマの神話においては、神々の運搬車として強く美しく、頑強な力ある羊の姿が度々描かれてきました。12星座の筆頭を行く、力強いパイオニアの象徴です。巨大で獰猛、脅威です・・決して近寄ってはいけません。わたしイリノイの山の中で危ない目にあったことが。。暗闇では目が光ります。いやよく無事だったなと。。

実際のところ、牧場を出たチリンの野獣化は、羊本来の姿としてはそう怪奇なことではない。故やなせたかし氏、「詩とメルヘン」の編集長さんでもあられたお方です。牧場を舞台に羊と狼をキャスティングされた時点での思いなどをどこかで収取できれば幸いです。「赤ずきんちゃん」に観られる白いヒツジと黒いオオカミの対比と同様? これまた現代社会で禁句のステレオタイプです。


古代ギリシアの歴史家ヘロドトス(BC484年 - 425年ごろ)でさえ「羊」と「山羊」を取り違えていたというエピソードも興味深いものです。動物の分類学上、似て非なる強さとリーダーシップを分け合っている二匹の聖獣なのです。

春の芽吹きの象徴としての羊毛に包まれた優雅な牡羊とは対照的に、地上が最も冷え込む冬至の時期を象徴する山羊は、黄道十二宮の中で異なる2つのタイプのリーダーを表すようになっていきます。



英語版ラストのナレーションに対する洞察

牧場で何が起こったのかおおいかくすように雪が何日も続いた。
「あとになって、ある者は、チリンを子羊として覚えていると主張し、ある者は彼は山の精霊なんだとも言った。しかし皆日々の暮らしにいそがしく、このことを長く思いわずらうことはなかった」
ある激しい吹雪の夜、チリンの優しい鈴の音が聞こえたが、
牧場の羊たちがチリンの姿を見ることは二度と再びありませんでした。


赤字が英語版のオリジナルです。「子羊のチリン」、野獣ではなく「山の精霊」とまで表現してもらえると、どこかポジティブといましょうか、いやものすごく温かい気持ちにさえなれるではありませんか。

チリンは決して羊でも狼でもないおぞましい野獣になり下がってしまったというわけではないんだなと。

日本語版では、チリンの死滅さえもうかがわせるようなイメージで終了。。

ひとつの考え方として、己の精神状態からあの野獣の姿に変貌したチリンが、もうすでにラストの段階で心理状態は変化をきたしており、「その後」として最終的には山の精霊と化して、吹雪の夜には牧場を見守ってくれているのかも、という連想にもつなげられるこの赤字部分、私にとっては最強救世主でした。

日々の暮らしに忙しい私たち、、指摘されると反発しがちだけれども、 こんな風な解釈というか寄り添いをしていただけると改心に直結。忙しい忙しいと、そこを言い訳にするのももちっと考えねばならんなと。

読み手にゆだねられている解釈、ならば圧巻! 


だから私は「チリンのすず」をこう解釈する

読み手にゆだねられているのならば、

私はすべてはチリンが眠っている間に観ている夢なんだと、解釈しました。

すべてというのは、チリンがウォー に弟子入りしたところからかな。

ウォーを殺し、牧場からも追われ、独りぼっちになったチリンに、ラストで雪が降り積もっていきます。「ウォー!!」と叫びながら積もりゆく雪にチリンの身体が白く覆われていくシーンは希望です。

チリンを野獣の姿に変えたのは、まぎれもない彼の意識と行動なのです。だからまた、彼が意識を変えていけば、雪解けのようにチリンのあの野獣の身体は解体され、もとの白い羊の姿に、時間も経過して・・・よりいっそう雄々しくも優しい牡羊に成長するのです。

と、ここで目が覚めるチリン。

夢を見させてくれたのは、亡くなってしまった母羊の魂。「あなたはそんな殺し合いをするためにどうか、生きないで」と。

不毛の人生を送るために、母はあなたを産んだのではないのだよと・・・

夢の中で、ウォー はチリンの父親となって、実地に色々なことを教えてくれていた・・・まさに太陽と月の二大ライツが見せてくれた夢。


どうせなら、思いっきり自由に考えては? そのほうが楽しくありんせんか?

と「べらぼう」第一話の朝顔姉さん節で、ご拝読誠に、ありがとうございました。